日本体育大学

創設者と
創立の経緯

創設者と創立の経緯

写真:創設者 日高 藤吉郎

創設者
日高 藤吉郎

学校法人日本体育大学は、明治24年8月11日、先覚者日高藤吉郎先生の手により「体育会」の名称をもって東京牛込区に創立されたのが始まりである。

当時の国内情勢は、明治維新による近代国家体制への移行期にあたり、諸制度の整備と国力の充実に全力が傾注されていた。教育の分野においても、学制の頒布、教育令の制定学校令の発布等により義務教育が普及し、知育・徳育・体育を3本柱に掲げていたが、体育は指導者の不足等によって知育・徳育に比して停滞する傾向にあった。

このような状況下、日本の近代化から取り残されていた課題である体育に着目し、「国民体育の振興」を目標に掲げて設立されたのが「体育会」である。体育会は、翌25年6月「日本体育会」と改称された。

創立者日高藤吉郎先生は、栃木県佐野市の出身であるが、若くして軍人を志し、下士官として西南戦争に参加した。

この間、軍人にして体力のない者は戦場における激務に耐えないことを痛感するとともに、郷里の若者達が徴兵を忌避する状況を見て、軍隊退役後、先づ市ケ谷加賀町に成城学校を設立して軍人となる若者達の予備教育を開始した。

本校は、まもなく牛込区原町に移り、現在の成城高等学校となっている。

その後、日高先生は、体育は軍人に必要なだけでなく、全国民が強健な体力を保持しなければ国家の発展は望めないとの信念を持つに至り、「体育は富強の基也」との信念をもって私財を投じて体育会を創設した。

組織の確立

写真:日本体育会総裁 閑院宮戴仁親王

日本体育会総裁
閑院宮戴仁親王

日高先生は異常な熱意をもって体育場の開設に取り組み、狂気扱いにされ乍らも資金を集め、明治24年8月11日、神田錦町に二百余坪の土地を借りて第一体育場を開設した。爾来この日が本会創立の日とされている。

当時の体育は、柔軟体操、器械体操及び徒手教練などが中心となっており、体育場は、神田のほか、本郷にも第二体育場が設けられた。

このようにして活動を開始した体育会は、翌25年4月、「体育会規則」を制定して会の運営、資金制度、管理運営体制を確立し、評議員会、賛助会員の規約をつくり、日高氏自ら幹事長に就任して会の運営にあたり、日本体育会の職制を定めている。

また翌26年4月、麹町区飯田町に体育指導者養成のため体操練習所を設立した。

この体操練習所が、その後日本体育会体操学校、日本体育専門学校を経て現在の日本体育大学へと発展するものであり、体育史上特筆すべきであるばかりでなく、当時体操教員養成の機関が皆無の時期に設立されたことに大きな意義がある。

この場所は現在の飯田橋貨物駅の一部にあたり、広さは500〜600坪の運動場に鉄棒、木馬、手摺などを設けると共に、12〜15坪の体操場と8畳の教室を有するものであった。

一方、会の運営に必要な会費収入の増大をはかるためには、会員数の拡大を図る必要があり、各宮家を名誉賛成員に推戴するとともに枢密院顧問を副会長に招き、社会的名士・有力者等に働きかけて会員、役員とした。

このようにして社会的地位が確立したのち、明治31年1月には閑院宮戴仁親王を体育会総裁に推戴し、同年7月には各府県知事に各府県に設置された日本体育会友会(部)の委員長を委嘱した。

このような組織拡大の努力により、明治31年5月には会員数が5,100名に達した。

運営

創立当時の本会の事業は、第1、第2体育場を設置して青少年の体育指導を行うとともに、体操練習所を開設して体操教員を養成するほか、諸学校の体操科教授の担当、体育普及のための運動会の開催、デモンストレーションの実施、機関誌「文武叢誌」の発行、講演会、幻燈会の開催及び水泳場、射撃場の開設など多彩にわたっていた。

体操練習所は既述の通り、体育指導者の養成機関であったが、生徒数は少なく、正規の受講生は毎期3名から4名位で、その大半は各地小学校で教鞭をとった。これにより体操練習所の社会的信用が高まった。

運動会は、各学校の生徒などを集めて練兵場を借りて行なわれた。また講演会と幻燈会は同時に行ない、成城学校や市内の会館等を借り、生徒や一般市民を対象に行なっていた。

ついでこれらの運営資金であるが、主として全国会員から納入された会費(入会金のみ)、生徒の納付金、宮内省からの御下賜金、東京相撲の寄付興業による収益などでまかなわれていた。

現在

学校法人日本体育大学は、「体育は富強の基なり」を理念に掲げ、明治24(1891)年に創立されて以来、120有余年にわたって、常にわが国の体育・スポーツの振興と保健・体育指導者育成に主導的役割を果たすとともに、国内外の各種スポーツ大会においても多くの優秀な選手を養成・輩出してきました。

明治26(1893)年に体操練習所の開設に始まり、体操学校、体育専門学校、体育大学等へと変遷し、今日では、日本体育大学、日本体育大学荏原高等学校(旧日体荏原高等学校)、日体桜華高等学校(旧桜華女学院高等学校)、日本体育大学柏高等学校(旧柏日体高等学校)、浜松日体高等学校、日本体育大学附属高等支援学校、桜華女学院中学校、浜松日体中学校、日体幼稚園、日体柔整専門学校にその理念が受け継がれております。現在は東京都世田谷区深沢7丁目1番1号を本拠地として私立学校経営を中心とした活動を行っております。